兵庫県立農林水産技術総合センター

センター雑感

当センターの各部署が順に担当して、季節の風景や出来事など様々な話題を紹介します。
 今月は 畜産技術センター家畜部 主席研究員 八巻 尚 が担当します。

但馬牛の史跡を訪れて

はじめに

畜産技術センターでは、但馬牛の種雄牛の凍結精子を県下の畜産農家に生産供給し、但馬牛の改良増殖を進める重要な役割を担っています。本県畜産試験研究施設の沿革を見ますと、今から110年前の明治39年(1906年)に養父郡に県立種畜場が設置され、これより県と生産者が互いに協力して但馬牛の改良を進めてきた経緯があります。

これ以前にも但馬牛の改良は長い歴史を持ち、県下各地にその功績を後代に伝えるために石碑等の史跡が残されています。今回、休日に但馬牛の代表的なふるさとである香美町小代区を訪れ、但馬牛関係の史跡を巡りましたので概要を紹介します。


但馬牛ミニ博物館

小代観光物産館内の一角を利用して但馬牛関係の資料展示が行われています。但馬牛、神戸ビーフの歴史と概要がパネル等でわかりやすく説明されています。特に、名牛「田尻」号の生産者である田尻松蔵氏が受賞された黄綬褒賞、日本全国の黒毛和種の母牛の99.9%以上が「田尻」号の子孫であるとの全国和牛登録協会による証明書が展示されているのが印象的でした。

また、香美町小代区では、平成22年に指定された山陰海岸ジオパークにおいて、日本海形成に伴う滝・渓谷が織りなす急峻な地形の中での集落および棚田作りと、その険しい環境に順応して但馬牛が改良されてきた経緯が説明されていました。但馬牛を地球活動の大きなスケールの中で語られていることに感心しました。


前田周助顕彰碑(写真1)

 前田周助は江戸時代末期(1798〜1872)に小代区を中心に活躍した家畜商で、大金を投じて近隣の村々から入手した良牛をもとに、特性が良く似た雌牛の集団である「周助蔓」を作成しました。現在の但馬牛は「周助蔓」の末裔といわれる「あつた蔓」に遺伝的に大きな影響を受けています。また、基礎雌牛の選抜保留、意識的な閉鎖育種等の改良手法を遺伝学が未発達のこの時代に実施したことは驚きでもあります。

 現在でも前田周助の牛づくりを通じて小代地域の村おこしを図ろうとする大きな志と卓越した実行力は、伝説として語り継がれています。本碑は昭和24年に「あつた蔓牛組合」有志によって建設されたもので、但馬に「あつた蔓牛組合」有志によって建設されたもので、但馬牛ミニ博物館から道路を挟んで谷田川沿いの駐車場内にあります。
              

             

名牛「ぬい」号の碑(写真2)

 「ぬい」号は明治42年に生まれた雌牛で、「周助蔓」の子孫と言われ、明治末から大正時代にかけて小代村で供用された種雄牛「熱田」と「第二熱田」の母牛にあたります。「あつた蔓」はこの2種雄牛を中心に造成されたため、「ぬい」号はその蔓を作成した重要な祖先として讃えられ、昭和28年に本碑が建設されました。碑文を見ると大正天皇による天覧の栄誉を受けていることもわかります。一般に牛の記念碑は種雄牛のものが中心で、雌牛の活躍を讃える碑石は全国的にも珍しいものであると思われます。

  本碑は標高が高い棚田の一角にありました。碑がある棚田に立つと、矢田川を真下に望む眺望が良く、牛づくりに好適なさわやかな空気を感じることができます。また、標高が高い地にある狭小な棚田を見ると、当地では小柄で小回りがきき足腰が強く従順な牛づくりが望まれることが想像されました。

       
              


名牛「田尻」号顕彰碑(写真3)

 「田尻」号は昭和14年に小代村貫田の田尻松蔵氏宅で生産され、基幹種雄牛として、昭和16年〜29年までに1,463頭の産子、この内178頭もの種雄牛を自然交配で生産しました。血統的には先に述べた「ぬい号」から5代目の子孫に当たります。また、本牛の産子は「田尻」号自身が属する中土井系はもとより、熊波系の茂福や茂金波も母方は「田尻」号の子孫であり、城崎系も奥土井が「田尻」号の息牛であるため、現在の但馬牛の全系統の改良に貢献しています。

 本碑は昭和27年にあつた蔓牛組合の発展に多大な貢献をしたことを顕彰して建設されたもので、先に説明した前田周助顕彰碑と並んで設置されています。碑文中にある「そもそも名牛が生まれるのは偶然ではない。自然的要因と人為的条件との融合により生まれる」という文章には牛に携わる者として重みを感じました。

           

おわりに

 但馬牛が書かれた最古の文献は「国牛十図」で鎌倉時代の1310年までさかのぼります。現在の但馬牛は、700年以上の年月をかけ、県内の多くの人々の手によって改良されてきたもので、本県だけではなく人類にとって貴重な遺伝資源であると考えられます。

 しかし、私は平成22年の宮崎県における口蹄疫発生時の防疫作業に従事して、長い期間をかけて改良され続けられたであろう美しい宮崎牛が、口蹄疫の流行による殺処分によって、一瞬に失われた現場を経験したことがあります。

 口蹄疫等の海外悪性伝染病の発生を防ぐためには、厳重な検疫等の波打ち際の防疫対策が最も重要ですが、万が一発生した場合を想定して、被害を最小限度に食い止める仕組みを事前に準備することが必要です。

当センターでは今年度より2カ年かけて北部農業技術センターとともに、県内での口蹄疫発生を想定し、貴重な遺伝資源である但馬牛の被害を最小限度とするための施設整備を行います。具体的には、但馬牛種雄牛の多くは当センターで飼養されていますが、この牛の大部分を但馬地域の中山間地にある北部農業技術センターに移動し、種雄牛の分散管理を図ります。また、外部の農場からセンターへ導入する牛は、管理区域から離れた検疫牛舎で一定期間、異常等が無いか観察を行うようにします。その他にも作業者、運搬車等の衛生管理を厳重に行い、センター内飼養牛に口蹄疫等の海外悪性伝染病が感染しないよう万全の対策を図る予定です。

 最後に、私はこれからも休日を利用して畜産関係の史跡を訪れ、畜産関係の歴史を振り返っていきたいと思います。それは単に歴史上の出来事をプロットするだけではなく、現在に至る成り立ちを深く知るとともに、歴史に埋もれた先人たちの何か貴重なアイデアが眠っているのではないかと考えているからです。


参考資料

「新但馬牛物語」新但馬牛物語編集委員会 2000年

「続・但馬牛物語」兵庫県畜産協会 2014年

「周助が走る 但馬の牛の物語」前田利家 文芸社 2008年

「オナメだったら良かったね−但馬牛の傍らで−」松村義男 北星社 2008年

「“但馬牛”今昔物語」渡辺大直 

全国農業協同組合連合会 兵庫県本部「畜産兵庫」2016年1月〜