センターからひとこと

(当センターの所長、次長、各技術センター所長等が順に執筆します。)
今月は 北部農業技術センター所長 佐々木 孝 が執筆しました。

これからの農業の生き残り戦略

昨年11月に菅内閣総理大臣はTPP、いわゆる環太平洋(戦略的)経済連携協定への参加をめざした検討を政府に指示しましたが、その後、各界で賛成、反対の様々な意見が出されています。

米の生産調整(いわゆる転作)が本格的に実施されるようになっておよそ40年が経過しました。この間、様々な専業農家育成対策が講じられてきましたが、園芸や畜産等の一部の部門を除いて、国外の農業と価格的に太刀打ちできる農家がどれだけ育ったかといえば、大きな疑問符が付いています。特に米生産農家については、生産調整のためのわずかな奨励金をもらうことにより、このこと自体が良かった悪かったという判断は別として、自由な生産活動が抑制されてきました。長期に亘り形を変え品を変え、そのときどきに様々な転作のための対策が打ち出されましたが、水田での栽培に適した作物はなかなか見つからず、また、適していても価格的に合わないということで今日に至っています。当初は転作を推進して国内生産量を確保するという大命題があったのですが、現実は、生産者の高齢化の進展や都市近郊、中山間地を問わず耕作放棄地が増加するなど、農業生産環境は悪化の一途をたどっています。ここ数年カロリーベースで食料自給率は40%前後で推移しており、残りのおよそ60%を外国に依存していますが、近い将来食糧危機が訪れるといわれているのに、果たしてこんな状態でいいのでしょうか。また、今年の大学や高校を卒業する人の就職内定が3人に2人という状況を看過していていいのでしょうか。

なにもTPPへの参加が怖いのではなく、担い手問題や農地の荒廃、購買者の低価格志向を見れば、それ以前に我が国農業の将来はどうなるか、多くの方が理解されているはずです。現在の担い手の殆どが60、70歳代であと10年もすれば後継者どころか、担い手そのものがいなくなります。供給力が壊滅するのですから、生産量が減る分、これまで以上に外国の農産物に頼らざるを得ません。農業団体はTPP加入に反対していますが、日本の経済がさらに落ち込めば、生産費の高い国内生産物を買える人そのものが減ってしまいます。それよりも我が国経済を活性化させて購買意欲を高め、高くても新鮮で美味しい農産物を買ってもらうことの方が、よほど国内農業を維持、発展できるのではないでしょうか。

もう20年も前になりますが、牛肉とオレンジの輸入自由化がなされました。その時は、我が国の肉用牛飼養農家やみかん生産農家は壊滅するだろうといわれ、政府は一生懸命差額関税をそれらの生産振興に補助金として投入しました。またその後、WTOのガット・ウルグアイ・ラウンド交渉が締結されたことから、多くの資金が農業生産振興費として注ぎ込まれました。当然、それらのお金の一部は専業農家育成対策(ソフト対策)にも使われたのでしょうが、残りの多くはいわゆるハード事業(箱物の整備)に使われたという記憶があります。肝心の専業農家の育成は端っこに置かれ、目に見える物にばかり補助金が投入されました。一部の園芸農家や畜産農家等は補助金とは関係無しに実力で専業農家にのし上がりましたが、肝心の米生産農家はあまり育っていません。外国と価格競争ができる農家がどれだけ育ったかといいますと、皆無に近い状態ではないでしょうか。

何故、厳しい国際環境を乗り越え、園芸農家や畜産農家等が生き残れたのかは、種々の要因があると思われますが、それまでの量的生産から質的生産に切り替えたことが、一番の要因であったと確信できます。ここに、日本農業が生き残れるヒントがあるのではないでしょうか。TPP加入は、日本の経済を回復させるとともに、これからの農業を復興させるいい機会なのです。これまでの箱物中心の行政はやめて、真剣にどうすれば外国とまともに競争できるか、健全な専業農家が育つか、このことを一度じっくりと検討してみてはどうでしょうか。その一つのいい例として、国県等の試験研究機関が中心となって進めてきた仕事、それは世界に誇れる芸術品的農産物づくりです。米は当然のこと、果樹・野菜然り、また神戸ビーフを象徴とする畜産物然りで、我が国にはいいものが豊富にあります。外国人が欲しがる農産物加工品もたくさんあります。これらを外国に売ってお金儲けをし、競争できない分野は仕方なく輸入に頼るという風にしたらどうでしょうか。前述しましたが、食料自給率はカロリーベースで40%しかありません。金額ベースに直すとその数値はもっと上がります。ここが狙い目なのです。神戸のデパートの地下の食料品売り場を覗いてみてください。野菜や果物はスーパーの2倍~3倍、神戸ビーフに至っては100g3千円、4千円もします。それを買う日本人がいます。世界にはもっと金持ちが一杯います。その人たちに今よりももっともっと高い価格で高級農産物を売り込むのです。それしか日本の農業、いや我が国経済が世界と対等に戦える場面はないのです。経済が回復すれば雇用も安定し、価格が少々高くても安全で美味しい農産物を買ってもらえるようになります。

今年はTPPが日本経済の論点となりますので、一般県民の皆様はもとより、農業生産や流通に関わる人、行政や試験研究に携わる人等々、これら多く分野の人たちが、何も最初から我が国農業を壊滅に追いやるという偏った考えでTPPを否定するのではなく、TPPも含めて前向きに重層的に議論し、今後の我が国経済のゆくえ、農業のあり方をじっくり検討すればどうでしょうか。