不可能と可能の間 -病害虫防除の世界から-
科学技術の進歩は不可能とされていたものを可能な世界に引き込んできた。月旅行がしかり、臓器移植もまたしかりである。運命として死を受け入れなければならなかった人が、生き続ける可能性を得ることができる。このまま進めば不可能な世界は徐々に狭まり、やがて可能な世界ばかりになるように思えてくる。
病害虫防除の分野も不可能な世界に挑戦することが求められる分野である。難防除とされる病害虫を相手に、どうにかして発生を防ぎ生産を安定させるための方策を求められる。しかし、作物を栽培する限り病害虫と無縁ではあり得ない。
作物と病害虫の間には微妙な関係が存在する。何を栽培しても病害虫が発生する現象をみれば、あらゆる作物に障害を与える病害虫が存在するように思えてくる。ところが、「地位もお金も名誉も」という御仁がいる人間の世界と異なり、病害虫は意外に律儀である。というのも、すべての作物に寄生し加害できるインベーダーのような病害虫はいない。稲の重要病害であるいもち病菌は稲にのみ寄生し、同じイネ科の作物であるトウモロコシにも麦にも無害である。またアブラムシはどんな作物にも寄生するが、寄生できる作物は限られており、いわばそれぞれの作物を分けあって「棲み分け」ている。このためアブラムシには「ムギクビレアブラムシ」とか「ジャガイモヒゲナガアブラムシ」というように寄生できる作物名が頭についている。だから同じ作物の栽培を続けることは、その作物に寄生できる病害虫を「集め」て「蓄積」することになる。このことを経験として知っていた昔の人たちは「ナスは続けて植えるな」といった生活の知恵を残してくれた。連作せずに輪作することの必要性と重要性を教えているのである。
ところが、「効率」と「生産性」が求められる現代の農業生産は、農産物も「工業的」に生産する方式に変化してきた。病害虫防除の分野は、経営に効率を求める生産側の「工業の論理」と作物を住み分けて生きようとする「生物の論理」がぶつかり合う場である。どこまで生産側の「可能性」が広がり、作物と病害虫がもつ「不可能」の世界を狭められるのか。病害虫防除部は可能な世界を広げる取り組みを続けている。その結果が黄色蛍光灯を利用したヤガ類防除や微生物を利用した病害防除といった成果に結びついてきた。これらの成果は、害虫や病原菌の存在しない環境を目指した従来の「殺虫」「殺菌」ではなく、行動制御や静菌といった新しい防除の可能性を実現したものである。防除分野に「生物の論理」を適用したといえるかもしれない。「生物の論理」を取り入れたさらなる防除法の開発に努めたい。