現場雑感(2002/7/8)
「経営目標ってどこにあるの?」
農家育成指標に、1800h・800万円所得ってのがありますが、これって何なんでしょうかねー。
もともと農業経営にあるべき姿というもの自体存在しないのに、こんな育成目標を作ってどうするんでしょう。
100の経営があれば、100の経営スタイル、目標、生きる哲学があり、その満足度もそれぞれのスタイルの中で異なっていて、ひとつとして同じものはありません。
それを、あるべき姿を提示したからといって、誰一人それを目標にするものでもなくそれを目指して普及活動を行うこと自体、あまりにも貧弱すぎる普及活動とはいえないでしょうか。
本当は、いろんな経営スタイルを認めるべきなのですが。次のように(あくまで遊びですよ。あくまで)・・・
100万円の所得で幸せになるコース 100事例
200万円の所得で幸せになるコース 100事例
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農業所得 + 年金所得 = ×××万円の所得で幸せになるコース 100事例
たとえば、どうであろうか。
「100万円の所得+別嬪の奥さん」こんなコースがあれば、私なんかは喜んで農業を生業として人生を幸せに送るでしょう。
可愛らしい奥さんに、毎朝人差し指を鼻にあててもらい、「ちちんぷいぷい、今日も幸せになあれ」なんてやられたら、幸せのあまり死んじゃうかもしれないのです。
さて冗談はさておき、現場に行くと、それほど儲けなくても幸せに暮らしている農家は数多く見受けられます。
目立たず、地道に当たり前のことを当たり前に行い、地域に密着し、真摯に生きていく人がどうもいちばん素晴らしい人のように思えてきました。
また、農業をあまりしていなくても、農業を支える人々も見えてきました。
農業は、中核農家で守るのでもなく、集落営農組織で守るのでもなく、関わる全ての人々によって守られているのです。
中核農家、集落営農組織、農会、自治会、関係する諸団体のみならずそれを構成する人々によって守られているのです。
そして、それぞれの経営スタイル全てが、農業農村を支える経営スタイルなのです。
朝市+年金収入+地域活動も素晴らしい経営スタイルです。
農村の農業における幸せの総量からいうと、場合によっては、この方が専業農家のそれよりも大きいかもしれないし、また、地域に与えるインパクトの面でも大きいのかもしれません。
農業農村及び経営のありかたは、もっと柔軟なものです。
数字でしかものを言えない普及・・・というよりも数字でしか、普及の仕事を他者に説明できないという理論構築の甘さを嘆くべきか・・・・。