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現場雑感(2002/7/8)
 「農村の活性化とは・・・」

1 農村の活性化
 地域イベントを行ったり、地域住民のコミュニケーションを高めるため祭りを復活させたり、グリーツーリズムにより都市と農村の交流を図ったり、また、地域特産物の育成を図ったりして地域を活性化することを地域おこしとして位置付けているが、そもそも地域おこしとはいったい何なのであろうか。
 いま、推進していることは真の地域おこしにつながるのか疑問である。
 必要なのは地域おこしよりも、農村住民の居住力の強化である。
 薄っぺらなイベントを行って、本当に幸せなのか。むりやり祭りを復活させることが、本当に必要なことか。ただ、行政サイドからの押し付け(ただし、住民自らの発案行動という態をとらせつつ)マスタベーションに過ぎないのではないか。
 もちろん、農業そのものが地域を変える事例は多い。それは一般的に特産物と呼ばれるものであり、日本の中、地域の中でブランドとしての地位を確立したものである。
 しかし、日本国内で食料農産物が、飽和又は慢性的過剰状態にある中で、一地域で特産物が生まれるということは、他の一地域で同じ品目の特産物が消滅することを意味する。
 つまり、ゼロサムのなかでの特産物の戦い・育成でしかありえないわけである。
 先の行き詰まった特産地の考える打開策は、特産物に付加価値をいかに付けるかということであるが、この分野も特殊な地域を除いて、すでに飽和状態にあるといえる。
 さらに、地域特産物を活用した「都市と農村の交流」があるが、行政におんぶに抱っこにより維持されており、活性化には程遠い。
 また、農村民宿による地域活性化といっても、日本全国のほとんどの美しくない農村に誰が行きたいのかさっぱりわからない。都市の住民が行きたいのは、ほんとに農村らしい農村であり、子供の心に戻って遊ぶことの出来る農村である。殺風景な杉林に囲まれたコンクリート護岸の河川が流れる農村に誰が郷愁を感じるのであろうか。
 地域おこしの方向は完全に間違っている。
 農村で足りないものは、農村としての美しさ、自然、農村に生きる哲学、技術、コミュニケーション等である。これら全てがバランスよく備わってこそ農村の活性化がある。
 この課題は、「地域おこしの農業の使命と果たすべき役割」となっているが、むしろ、この農業と書かれた部分を農村に置き換えたほうがより適切である。
 農村はより広い概念であり、そこに住む人、環境すべてを表すからであり今後の普及対象として最重要と考えられる。
2 農村の利便性と自然
 農村の利便性は追求すればきりがないが、自然との折り合いが最も大切である。
 というのは、いくつかの場面で利便性と自然の美しさとは相反するものがある。そのバランスは、農村に居住する者の人生観及び技術によって保たれている。その人生観及び技術がない場合は、利便性に偏り、現在のようなあまり美しくない魅力に乏しい農村がお目見えするのである。
 いまさら都市の論理を持ち込んだ(いや持ち込まされた)農村に、いまさら、グリーンツーリズムの精神が宿るのであろうか。都市の一部として出発した農村は、都市らしく、都市の中に農村の一部を取り込んだ地域として生きるのが最も幸せなのではないか。
 定年になっても、畑仕事がある。コミュニケーションもある。ちょっとコンクリートが見えすぎて美しくなくなったけど、都市の真中よりも好い。ここから出発することが活性化への最短距離である。この意識が高まることによって、目の前にある杉林を季節感のある広葉樹にしようとか、川を美しくやり直そうという意識に変化していくものである。今の日本農村の大半は、都市型農村でありグリーンツーリズムなどまったく向いていない地域である。
 こんな状態で、むりやり「都市と農村の交流を」やらして、いったいどうするのであろうか。行政が手助けしなければ、すべて一過性に終わるものばかりである。
 農村の自立は程遠い。
3 農村の自立と技術
 農村の自立には、そこに住む人の人生観と技術が必要である。悲しいかな人生観は、技術とともに醸成されるものであり、行動なくしては形成されない。
 それでは、農村の自立に必要な技術とはどんなものかというと、次のようなものと言える。
 ① 農村の修繕・改修を、農村の人自ら行える技術
 ② 自分の家及び周りの修繕・改修を、自分自身の力で行える技術
 ③ 美を美と感じる心
 上記2つの農村にとって大切な技術は、農村から高度成長とともに奪われていった。
 これらの技術は、①では長老から若者に、②では父から子に、③は農村で生きる中で農村全体から与えられ受け継がれていくべきものであった。
 これらの技術を取り戻すことから始めなければ、美しい農村は帰ってこないし、真の自立もありえない。
 農村から奪われた技術の中には大工技術、左官技術、屋根技術、石積み技術、植栽技術等農村を美しく維持していくための大切な技術がある
 人は、これらの技術を使う過程の中で家を愛し、家族を愛し、農村を愛し、自然を愛するわけである。そして、その中から美しさに対する意識及び人生観が醸成されてくるのである。
 しかし、高度成長期に失われたこれらの技術も、低成長期に入り農村が成熟していく中で、自分の生き方を見つめなおす若者が増えてきた昨今、これらの技術を受け入れられる素地も整いつつあるように思える。希望は感じられる。
 地域おこしとは、農村の自立のことである。
 地域特産物がなくても、祭りがなくても、農村民宿がなくても、グリーンツーリズムが導入されなくても農村の自立は可能であり、そのことは、前記イベントは農村の自立にとって必要条件ではないことを示す。
 ここで、地域おこしつまり農村の自立のために次のような事業を提案する。
 これらは、農村から奪われた技術を取り戻すための事業であり、農村の自立のために必要なものである。
   ① 農村のための修繕・改修研修会
   ② 我が家のための修繕・改修研修会
 これらの事業は、即効性はないが長期にわたり成果があがるものであり、農村の基盤を内面から支えていくために必要なものである。
 真の地域おこしは、地域の自立、個人の自立から出発から始めなければならない。